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東京高等裁判所 平成11年(ネ)3719号 判決

控訴人兼被控訴人(以下「第一審原告」という。)

X・フィッシング

右代表者代表取締役

A

右訴訟代理人弁護士

高見澤重昭

被控訴人兼控訴人(以下「第一審被告」という。)

泉貿易株式会社

右代表者代表取締役

依田光也

被控訴人兼控訴人(以下「第一審被告」という。)

依田光也

右両名訴訟代理人弁護士

森荘太郎

中村紀夫

雨宮正啓

右当事者間の損害賠償・同反訴請求控訴事件について、当裁判所は、次のとおり判決する。

主文

一  第一審被告泉貿易株式会社の控訴に基づき、原判決中同第一審被告敗訴の部分を次のとおり変更する。

二  第一審原告は、第一審被告泉貿易株式会社に対し、一五六〇万二一七五円及び内金九四六万円に対する平成九年八月二四日本から支払済みまで、内金二九九万二一七五円に対する平成一一年九月三日から支払済みまで、内金三一五万円に対する平成一二年二月一六日から支払済みまで各年五分の割合による金員を支払え。

三  第一審被告泉貿易株式会社のその余の請求を棄却する。

四  第一審原告及び第一審被告依田光也の各控訴をいずれも棄却する。

五  第一審被告泉貿易株式会社の反訴請求についての訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを五分し、その二を同第一審被告の負担とし、その余を第一審原告の負担とする。第一審原告及び第一審被告依田光也の各控訴費用は、それぞれの当事者の負担とする。

六  この判決の主文第二項は、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  当事者の求めた裁判

一  第一審原告

1  原判決中、第一審原告敗訴の部分を取り消す。

2  (主位的に)第一審被告らは、第一審原告に対し、連帯して七九四〇万五二〇〇円及びこれに対する平成八年一一月一六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  (予備的に)第一審被告泉貿易株式会社(以下「泉貿易」という。)は、第一審原告に対し、七九四〇万五二〇〇円及びこれに対する平成一〇年四月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

4  第一審被告らの控訴を棄却する。

二  第一審被告ら

1  原判決中、第一審被告ら敗訴の部分を取り消す。

2  第一審原告は、第一審被告泉貿易に対し、二五九七万四四七五円及び内金一九八三万二三〇〇円に対する平成九年八月二四日から支払済みまで、内金六一四万二一七五円に対する平成一一年九月三日から支払済みまで各年五分の割合による金員を支払え。

3  第一審原告は、第一審被告依田光也(以下「依田」という。)に対し、五〇〇万円及びこれに対する平成一一年九月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

4  第一審原告の控訴を棄却する。

第二  事案の概要

一  本訴請求は、ロシア法人である第一審原告が、第一審被告泉貿易との売買契約に基づき同被告に対し冷凍紅鮭セミドレス(以下「本件紅鮭」という。)を引き渡したが、右売買契約は第一審被告泉貿易の代表取締役である第一審被告依田が代金支払の意思がないのに締結したものであると主張して、主位的に、第一審被告らに対し、共同不法行為に基づく損害賠償として売買代金相当額七九四〇万五二〇〇円の支払を求め、予備(二次)的に、第一審被告泉貿易に対し、売買契約に基づく代金として右同額の支払を求め、更に予備(三次)的に、第一審被告泉貿易に対し、不当利得返還請求として右同額の支払を求めたものである。

これに対し、第一審被告らは、第一審原告はその主張の根拠とする売買契約書が偽造であることを知りながら、あえて右の本訴請求訴訟(以下「本件訴訟」という。)を提起したものであると主張して、第一審原告に対し、第一審被告泉貿易が不法行為に基づく損害賠償一九八三万二三〇〇円の支払を求め、第一審被告依田が慰謝料五〇〇万円の支払を求める反訴を提起したものである。

原判決は、第一審原告の本訴請求及び第一審被告らの反訴請求をいずれも棄却したので、これに対して当事者双方が不服を申し立てたものである。なお、第一審被告泉貿易は、控訴に伴い、第一審原告に対する反訴請求額を二五九七万四四七五円に拡張した。

二  右のほかの事案の概要は、次のとおり付加するほか、原判決の該当欄記載のとおりであるから、これを引用する。

(第一審原告の当審における主張)

1 第一審原告の代表者Aは、第一審被告泉貿易の取締役坪谷治郎(以下「坪谷」という。)と交渉して、本件紅鮭の売買を合意した。そこで、両者は、平成八年一〇月一一日、売買契約書(甲一、二の各2)を作成した。この契約書は、真正に成立したものであり、偽造されたものではない。したがって、第一審被告泉貿易は、売買代金支払義務がある。

2 第一審原告は、梱包明細、取引パスポート、荷物税関申告書を作成し、また、船荷証券の発行も受けて、本件紅鮭を日本に輸出した。そして、第一審被告泉貿易は、本件紅鮭を受領した。仮に売買契約書が偽造されたものであるとしても、第一審被告泉貿易が輸出取引により本件紅鮭を受領している以上、売買契約が結ばれていたことは明らかである。

3 売買契約の成立が認められないとすれば、第一審被告らは、代金支払の意思がないのに、これを隠して、本件紅鮭を受領したことになる。したがって、第一審被告らは、損害賠償支払義務がある。

4 第一審原告は、本件紅鮭を輸出したのに、その代金の送金を受けていない。また、売買契約の成立が認められないとすれば、第一審被告泉貿易は、権限なく本件紅鮭を受領したことになる。したがって、第一審被告泉貿易は、不当利得返還義務がある。

5 (第一審被告らの主張1に対する反論)第一審被告ら主張の代物弁済契約の存在は否認する。仮に代物弁済契約があったとしても、第一審原告は、その存在を知らなかった。第一審原告は、本件紅鮭を輸出した以上、その代金支払を求める訴えを提起するのは、当然である。本件訴訟を提起したことは、違法ではない。

第一審被告ら主張の代物弁済は、B・フィッシャリー(以下「B」という。)とスパン・アソシェート・ピーティーイー・リミテッド(以下「スパン」という。)との間の合意であるから、第一審原告と第一審被告泉貿易との輸出取引・売買契約に影響を与えるものではない。代物弁済の合意は、輸出取引がされた平成八年一〇月より後のことである。また、右代物弁済は、第一審原告の第一審被告らに対する損害賠償請求権に影響を与えるものでもない。さらに、Bとスパンとの間で代物弁済契約があったとしても、これが第一審被告泉貿易に本件紅鮭の受領権限を与えるものではない。

6 (第一審被告らの主張2に対する反論)第一審被告泉貿易が本件訴訟に応訴することは、本来の業務範囲に含まれるものであるから、損害とはならない。第一審被告泉貿易は、その主張の時間外賃金を払っていないから、第一審被告泉貿易に損害はない。勤務時間外に応訴準備をしたとの根拠が不明であり、その時間もあまりに多すぎる。第一審被告依田が費やした時間のうち、同被告自身を当事者とする訴訟に関する部分は、第一審被告泉貿易の損害ではない。

原判決は、確定していないから、第一審被告らの訴訟代理人は、まだ第一審の弁護士報酬を請求することはできない。控訴審の弁護士報酬は、控訴審判決が出ていないので、条件付きの請求権にすぎず、また、第一審の報酬を請求しているので、二重請求である。消費税は、税金であるから損害に当たらない。当審で新たに請求した損害の主張は、時機に後れたものであるから、却下されるべきである。

(第一審被告らの当審における主張)

1 第一審原告は、売買契約書を偽造した上、あえて第一審被告らに対する本件訴訟を提起したものである。第一審原告は、第一審被告らに対し、不法行為責任を負うべきである。

すなわち、Aが支配しているBは、第一審被告泉貿易の関連会社であるスパンに対する傭船料債務の代物弁済として本件紅鮭を引き渡す合意をした。Aは、このことを知りながら、代物弁済契約を反故にして、本件紅鮭を横流しして利益を得ようとしたが、失敗した。そこで、第一審原告は、売買契約書の坪谷の署名を偽造して、売買代金名下に金を取ろうとの詐欺行為を画策し、そのための手段として、本件訴訟を提起したものである。

2 第一審被告泉貿易の損害は、次のとおり、二五九七万四四七五円である。

(一) 逸失利益

一四八七万二三〇〇円

第一審被告泉貿易は、第一審被告依田、坪谷及び顧問上原貞美の三名により、勤務時間外に本件訴訟に対する対応策の打ち合せや応訴準備を行った。平成九年二月から平成一一年一月までの間、これに要した右三名の時間を合計すると、延べ一〇五六時間(第一審被告依田が三四九時間、坪谷が三九五時間、上原が三一二時間)となる。右三名は、本件訴訟提起がなければ、この時間を本来の業務に充て、利益をあげることができた。このことによる第一審被告泉貿易の逸失利益は、右三名の各人が費やした時間の各人の一時間当たりの収入(時間外勤務であるから、収入額の1.3倍とする。)を乗じた一四八七万二三〇〇円である。

(二) 弁護士費用(消費税を含む。) 一〇八八万八五〇〇円(このうち、五九二万八五〇〇円は、当審で新たに請求するものである。)

第一審の着手金一八九万円、報酬三七八万円、控訴審の着手金二〇六万八五〇〇円及び報酬三一五万円の合計額である。

(三) 翻訳料 二一万三六七五円(当審で新たに請求するものである。)

3 第一審被告依田が本件訴訟提起により受けた精神的損害に対する慰謝料は、五〇〇万円を下らない。

第三  当裁判所の判断

一  当裁判所は、第一審原告の本訴請求及び第一審被告依田の反訴請求は理由がないが、第一審被告泉貿易の反訴請求は一五六〇万二一七五円とその遅延損害金の限度で理由があるものと判断する。

その理由は、次に記載するほか(原判決の理由記載と本判決の説示が抵触するときは、本判決の説示によるという趣旨である。)、原判決の理由記載(ただし、第一審被告らの反訴請求についての部分(原判決の第三の三)を除く。)と同一であるからこれを引用する。

1  本件紛争の経過

当事者間に争いのない事実と証拠(甲一、二の各1、2、三ないし六、八、一一、一二、一四、一八、一九、二四、二八、乙一ないし五、六の1、2、七、一〇ないし一二、一九、二〇の1、2、二一、二三の1、2、二六、三五、原審における第一審原告代表者、証人坪谷治郎)によれば、次の事実が認められる。

(一) 第一審原告は、水産業を営むロシア法人の会社で、Aが設立当初からの社長である。Aは、平成六年、腹心の者とともにロシア法人のBを設立した。Bも水産業を営む会社であり、社長はゾーリンであるが、第一審原告の子会社であって、実際には、Aが支配している。

第一審被告泉貿易は、機械、船舶、海産物等の輸出入業務を目的とする株式会社であり、第一審被告依田が代表取締役である。スパンは、第一審被告依田が一部出資して設立されたシンガポール法人で、第一審被告依田が会長を務めている。

(二) スパンは、水産物加工母船「プリモレツ号」を所有し、第一審被告泉貿易にその管理を委ねている。Aは、平成七年、第一審被告依田に対し、プリモレツ号をBに傭船してほしいと申し入れ、第一審被告依田も承諾した。そこで、スパンとBは、平成七年六月、傭船契約を締結した。この契約においては、契約期間を四年間とし、傭船料七二八万米ドル(八回の分割払、第一回の支払期限は平成八年五月一五日)、Bはプリモレツ号で生産・加工された水産物のすべてをスパンに販売する義務がある旨合意された。

(三) しかし、Bは、平成八年五月一五日に傭船料を支払わず、プリモレツ号で生産・加工された水産物も他に売却して、スパンに販売しなかった。そこで、スパンや第一審被告依田は、A及びゾーリンに対し、繰り返し、傭船料の支払を請求した。その結果、A及びゾーリンは、平成八年七月ころ、スパンとの間で、Bがスパンに対しプリモレツ号で生産・加工された紅鮭603.9トン(本件紅鮭189.9トンを含む。)でもって、傭船料債務の一部を代物弁済することを合意した。そして、Bは、第一審被告泉貿易宛ての平成八年九月一八日付け書面(乙二)で、右の代物弁済をする旨確認した。この書面には、A及びゾーリンが署名している。

(四) ところが、Bは、平成八年八月から九月にかけて、代物弁済として交付することを約束した紅鮭のうち、本件紅鮭以外の四一四トンを二回に分けて、第一審原告の日本における代理店プログレス社宛てに船積みして発送した。これを察知した第一審被告らがロシアの捜査当局に事情を訴えたため、Aは、荷受人を第一審被告泉貿易に変更する指示を出したので、スパンから紅鮭の受領権限を与えられていた第一審被告泉貿易は、右紅鮭を受け取ることができた。

(五) 右紅鮭を関連会社のプログレス社を介して日本で売りさばくことに失敗したAは、残りの本件紅鮭について、坪谷の署名を偽造して第一審原告・第一審被告泉貿易間の平成八年一〇月一一日付け売買契約書(甲一、二の各2)を作成し、これに基づき、本件紅鮭を第一審被告泉貿易宛てに輸出した。スパンから受領権限を与えられていた一審被告泉貿易は、平成八年一一月一六日、代物弁済として本件紅鮭を受領した。Bとスパンとは、平成九年一月三〇日、代物弁済として紅鮭603.9トンを交付受領した旨確認し(乙三)、その旨の債務弁済議定書(乙四)を作成した。

(六) ロシアの法律では、資産の国外流出を防止するため、商品を輸出したが、その代金が支払われないときは、輸出業者に最高で代金相当額の三倍の罰金が課されることになっている。第一審原告は、売買契約を装って本件紅鮭を輸出し、代金が送金されなかったので、ロシア当局から罰金を課されるおそれがあった。そこで、第一審原告は、平成九年四月、売買代金等の支払を求める本件訴訟を提起した。なお、第一審原告は、平成九年一〇月、実際にロシア当局から罰金を支払うよう通告を受けたが、本件訴訟が係属中である旨説明し、支払を猶予されている。

(七) Aが支配しているBは、スパンに対し、今日に至るも、代物弁済の目的である紅鮭を除き、プリモレツ号で生産・加工された水産物を引き渡しておらず、傭船料も支払っていない。

2  第一審原告の本訴請求について

右1の認定事実によれば、第一審原告主張の本件紅鮭の売買契約は締結されておらず、第一審被告泉貿易は、Bとスパンとの代物弁済の合意に従い、スパンの代理人として正当な権限に基づいて本件紅鮭を受領したものと認められる。

したがって、第一審原告の第一審被告らに対する共同不法行為に基づく損害賠償請求、第一審被告泉貿易に対する売買代金請求及び不当利得返還請求は、いずれも理由がない。

第一審原告は、売買契約書は真正に成立したものである旨主張する。そして、第一審原告代表者は、陳述書(甲二四)と原審の供述でその旨述べている。しかし、売買契約書は第一審原告によって偽造されたものであることは、右認定のとおりである。売買契約書の坪谷の署名は、同人の署名である甲六ないし八、乙四の署名と同一であるとは認められない。第一審原告は、第一審被告泉貿易から坪谷が署名した売買契約書をファックスで受信したものの、送信記録が記載されている原本は紛失したと述べている。しかし、契約の重要な記録を紛失するというのは不自然である。また、Bは、平成八年一〇月七日に第一審被告泉貿易に対し近々本件紅鮭を船積みすると連絡し、同月八日付けの船荷証券が発行されている(甲三、乙五)が、その元になるべき売買契約書は、その後の同年一一日付けで作成されており、時期的に辻褄が合わないことも、売買契約書が偽造されたものであることを裏付けるものである。

第一審原告は、船荷証券等の輸出手続が荷送人を第一審原告、荷受人を第一審被告泉貿易として行われたことを指摘する。しかし、このことは、当然に第一審原告・第一審被告泉貿易間で売買契約が締結されたことの根拠となるものではない。

また、第一審原告は、Bとスパンとの代物弁済は、第一審原告・第一審被告泉貿易間の売買契約や第一審原告の損害賠償請求権に影響を与えるものではない旨主張する。しかし、そもそも第一審原告主張の売買契約は締結されていないのであり、第一審被告泉貿易は、代物弁済の合意に従い正当な権限に基づいて本件紅鮭を受領したのである、右の代物弁済が第一審原告主張の売買契約より前の平成八年七月ころに合意されたことは、右1(三)で認定したとおりである。なお、次の3で認定するとおり、第一審原告は、本件紅鮭を目的とする代物弁済の合意があることを知りながら、売買契約書を偽造したものである。

3  第一審被告らの反訴請求について

(一) 第一審原告による本件訴訟提起の違法性

前記1の認定事実によれば、Aが支配するBは、プリモレツ号の傭船料を一切払わず、契約で定められた水産物も他に売却してスパンには引き渡さなかったので、スパンや第一審被告依田から要求されて、紅鮭で代物弁済することを合意したものである。そして、Aも代物弁済合意の事実を知っていたことは、B作成の代物弁済の確認文書(乙二)にA自身が署名していることから明らかである。それにもかかわらず、Aは、紅鮭の一部をスパンには渡さず、自己の関連会社を通じて売りさばこうとして失敗したので、今度は、売買契約書を偽造して、売買代金名下に第一審泉貿易から金を取ろうと画策したものである。今日に至るもプリモレツ号の傭船料が支払われていないことをも考えると、Aは、プリモレツ号を傭船し、水産物を売りさばいて利益をあげながら、種々の策を弄して傭船料の支払を免れようとしているものと認められる。そして、Aは、売買契約を装って本件紅鮭を輸出したので、ロシア当局から多額の罰金を課されるおそれが生じたため(代物弁済により本件紅鮭を代理受領した第一審被告泉貿易が代金を払わないのは当然である。)、これを免れるため、売買代金等の支払を求める本件訴訟を提起したものである。

そうすると、第一審原告は、第一審被告泉貿易が代物弁済として本件紅鮭を正当に受領したことを承知していたのに、自ら売買契約書を偽造し、罰金を免れるという自己の利益のために、全く根拠のないことを知りながら、あえて本件訴訟を提起したものである。したがって、第一審原告の本件訴訟提起は、違法であり、不法行為に該当する。

第一審原告は、代物弁済の事実を知らず、本件訴訟提起は違法でない旨主張するが、この主張を採用することはできない。

(二) 第一審被告泉貿易の損害

(1) 逸失利益 四五〇万円

第一審被告泉貿易は、逸失利益一四八九万二三〇〇円の損害を受けたと主張する。

証拠(乙一四ないし一六、二八、原審における証人坪谷治郎)によれば、次の事実が認められる。第一審被告泉貿易は、平成九年二月二一日、第一審原告から、本件紅鮭の売買代金支払を求める内容証明を受領した。そこで、第一審被告泉貿易は、同月二四日から、社長の第一審被告依田、取締役の坪谷及び顧問の上原の三名により対応策の検討を始めた。第一審被告泉貿易は、平成九年四月一六日、本件訴訟の訴状の送達を受けたので、弁護士に訴訟委任した。そして、右三名は、打ち合わせを繰り返しながら、事実関係の調査、翻訳、第一審原告の主張に対する認否・反論の作成、裁判所に提出する証拠の収集等を行い、それらのために多大の時間を消費したほか、弁護士との打ち合わせにも時間を取られた。第一審被告泉貿易が平成九年二月二四日から平成一一年一月一三日までの間に本件訴訟の応訴準備のために要した時間は、第一審被告依田が三四九時間、坪谷が三九五時間、上原が三一二時間で、その合計は一〇五六時間である。この応訴準備は、通常業務もあるため、弁護士との打ち合わせを除けば、そのほとんどが三名の都合がつきやすい勤務時間終了後に残業して行われた。各人の一時間当たりの役員報酬又は給与の1.3倍(時間外労働であることを考慮したもの)にそれぞれの応訴準備に要した時間を乗ずると、その合計金額は一四八七万二三〇〇円となる。

この事実によれば、第一審被告泉貿易が応訴準備に要した時間は、二年間で延べ一〇五六時間という長時間に及ぶものである。これは、一日七時間労働とすると、一五〇日分である。しかも、社長や取締役という幹部がこれだけの時間を割かざるを得なかったのである。本件訴訟提起がなければ、第一審被告泉貿易は、これらの時間を本来の業務に充てることができ、そうすれば、多大な事業利益を得ることができたものと推認される。

しかし他方で、本件訴訟提起がなければ右の一〇五六時間(その多くが残業である。)の全てを勤務に充てるとは考えにくい。また、労働時間に対応する給与相当額の利益を得ることができるとの保証はない。そして、弁護士との打ち合わせは勤務時間内に行われた。以上の三点をも考慮に入れて総合判断すると、第一審被告泉貿易が本件訴訟提起を受けたことによる逸失利益は、その主張額の約三分の一に相当する四五〇万円と認めるのが相当である。

第一審原告は、応訴活動は本来業務に含まれるものであり、また、時間外賃金は払われていないから、損害がない旨主張する。しかし、通常の業務活動に伴うトラブル処理は会社の業務に含まれるといえるが、本件訴訟は、前記(一)で認定したとおり、第一審原告が全く根拠がないことを知りながらあえて提起したものである。第一審被告泉貿易にとっては、全くのいいがかりにすぎない。したがって、第一審被告泉貿易にとって、本件訴訟への対応が通常の業務の一環であるとは認められない。また、時間外賃金を払っていなくても、第一審被告泉貿易は、右のように長時間の応訴準備を要する本件訴訟の提起を受けなければ、その分、相当額の利益を得ることができたものと認められる。なお、第一審被告依田も本件訴訟の当事者とされているが、これは第一審被告泉貿易の社長として第一審原告との種々の取引、交渉の中心人物であったからであり、また、第一審被告依田が応訴準備に当たったのも第一審被告泉貿易の社長としての立場からである。そして、第一審被告依田が応訴準備に要した時間を社長としての本来の仕事に充てることができれば、第一審被告泉貿易に相当額の利益をもたらしたであろうことは、いうまでもない。

(2) 弁護士費用

一〇八八万八五〇〇円

証拠(乙一七、三〇ないし三二、三四)によれば、第一審被告泉貿易は、その訴訟代理人弁護士らに対し、第一審の着手金、成功報酬及び控訴審の着手金として合計七七三万八五〇〇円(消費税を含む。)を支払ったことが認められ、また、乙三と本件事案の内容によれば、第一審被告泉貿易が支払うべき控訴審の弁護士成功報酬は三一五万円と認めるのが相当である。これらの弁護士費用一〇八八万八五〇〇円は、第一審原告が違法に本件訴訟を提起したことにより、第一審泉貿易に生じた損害であると認められる。

第一審原告は、本件訴訟の判決は確定していないから第一審の報酬請求権は発生しておらず、また、第一審の成功報酬と控訴審の成功報酬を二重に請求することはできない旨主張する。しかし、第一審被告泉貿易が弁護士に第一審の訴訟委任をし、勝訴判決を得た以上、その判決が確定していなくても、弁護士との委任契約に基づき成功報酬を支払う義務がある。現に第一審被告泉貿易は、請求を受けて第一審の成功報酬を支払済みである。また、控訴審の成功報酬支払義務があることは、本判決が基本的に第一審被告泉貿易の勝訴であることから明らかである(なお、その支払義務の履行期が到来するのは本判決言渡時である。)。第一審の訴訟委任を受けた弁護士が控訴審についても受任した場合であっても、それぞれの審級について、別個に訴訟委任の委任契約を結ぶのであるから、各審級毎に成功報酬を請求することができる。第一審被告泉貿易が現に支払った、又は支払義務を負う消費税が損害に当たらないとの理由はない。なお、第一審被告泉貿易が当審で新たに請求した弁護士費用は、第一審原告が控訴したことにより生じたもの又は原判決後に確定したものであるから、当審でこれらを請求することが時機に後れたものと認めることはできない。

(3) 翻訳料 二一万三六七五円

証拠(乙二九の1ないし3)によれば、第一審被告泉貿易は、本件訴訟提起を受けたため、翻訳料二一万三六七五円を支払ったことが認められる。

(4) 合計 一五六〇万二一七五円

以上によれば、第一審原告が第一審被告貿易に対して賠償義務を負う損害額は、一五六〇万二一七五円である。なお、このうち、六一四万二一七五円(弁護士費用五九二万八五〇〇円と翻訳料二一万三六七五円)は、当審で新たに請求されたものである。

(三) 第一審被告依田の慰謝料請求

第一審被告依田は、第一審原告の本件訴訟提起により精神的損害を受けた旨主張する。確かに、これまでに認定判断したところによれば、第一審原告が全く根拠のない本件訴訟を提起したため、第一審被告依田は、いわれのない訴訟に巻き込まれ、長時間の応訴準備を強いられたものである。しかし、これは、第一審被告泉貿易の社長であったからであり、第一審被告泉貿易に生じた損害は、第一審原告に賠償を命ずる本判決とその履行により回復されるものである。また、第一審原告の第一審被告依田に対する本訴請求は棄却されることも考えると、第一審被告依田が本件訴訟により相当の苦労をし不愉快な思いをしたことは、想像に難くないが、これをもって、第一審被告泉貿易の損害とは別個独立に、第一審原告による賠償の対象となる損害があったものと認めるのは相当でない。

第一審被告依田の反訴請求は理由がない。

二  したがって、原判決中、第一審原告の本訴請求及び第一審被告依田の反訴請求を棄却した部分は相当であるから、第一審原告及び第一審被告依田の各控訴はいずれも棄却すべきである。しかし、第一審被告泉貿易の反訴請求を棄却した部分は失当で、右反訴請求は一五六〇万二一七五円の限度で認容すべきであるから、同第一審被告の控訴に基づき、原判決中同反訴請求についての部分を変更する。なお、同第一審被告は、その反訴請求のうち、当審で請求を拡張した六一四万二一七五円については、平成一一年九月三日からの遅延損害金を求めている。そこで、同日から遅延損害金を認容すべきであるが、そのうちの控訴審の成功報酬三一五万円については、本判決言渡しの翌日である平成一二年二月一六日から遅延損害金が生じることとなるので、その限度で遅延損害金を認容することとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・淺生重機、裁判官・菊池洋一、裁判官・江口とし子)

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